Tuesday, April 3, 2012

思い出話:IRAの爆弾騒ぎ

私がまだロンドンで語学学生だった大昔の話です。
到着してすぐに気の合う日本人の友達ができ、彼女とつるんでクラブへ出かけるようになりました。


さてその当時の行動パターンはこんな感じです。
月から金まで、午前か午後の授業に出席、終わると学校のあるマーブルアーチから、トッテナムコートまでブラブラしゃべりながら歩いて、ソーホーにある「バー・イタリア」というカフェでカプチーノかラテを堪能しながらまたベラベラ話~。。。



そして金曜には、そこから一旦解散して、夜9時頃ソーホーへ集合して、チャイナタウンの安いご飯屋さんで夕食。パブへ行ってそれから、11時になるとナイトクラブへ・・・


今は建設プロジェクトでなくなってしまった「Astoria」という老舗のコンサートホール兼ナイトクラブの金曜日「Rock it」クラブへ行ってました。パブでフライヤーをもらうと、7ポンドの入場料が5ユーロに割引されるという仕組み。開場すぐだとあまり人もまばらだし、寒々としているのだけれど、二人でビールを買いあってだんだん混んでくるクラブで3時まで踊ります。
ちなみに土曜日は別の場所で「ヘルファイヤー」なんていうクラブへ出かけます。(どちらも今は存在しませんが・・)


いわゆるヘビメタ、ハードロック系のクラブで、当時は、パールジャム、レッチリ、ガンズなどの音楽が掛かって、頭ぶんぶん振って踊ってます。大抵の人は結構奇抜なコスチュームだったりするのだけど、私達はいつも控えめにジーンズ。毎週行ってるから売店のおじちゃんとも友達になって、裏方へ入れてもらったり、あの人素敵だ~とか、あの人また違う人連れてる~なんて色んな人を見たりして楽しんでました~。そして私達純粋に音楽聴いて踊ってるのが楽しくって仕方がないって時だったのかも。。。


さてさて、ある日のアストリアで事件があり飛んだ思いをしました。


かなり盛り上がってる1-2時頃でしょうか。突然音楽が止まってマイクを通して、「非常口から一旦外へ出てください」とな。しぶしぶ外へでました。踊って暖まってた身体が、真冬の外でぶるぶる震えながら待つ事1時間程(位長く感じた・・)
で、待った挙句、今日はこのまま帰ってっと言われました。普通はクロークにコートを預けてるのに。。


え~この真冬にっすか?
何が起こったの?


理由も分からず追い出され、周りは警察やら消防車やらで騒然としているし、ともかく帰ろうと、ナイトバスの停留所へ。待てども、待てどもぜんぜんバスはきません。友達は痺れを切らしてタクシーでさっさと反対方向へ帰りました。私もどうしようー・・・・・・・・・と来るかもしれないけど、一向にきそうにないバスを待ちます。さぶいさぶい。


まあ何とか無事に家までたどりついて、ラジオを付けて聞いてみると、マーブルアーチ周辺とオックスフォードサーカス周辺からIRAの爆弾が何箇所か見つかったと。そして私達が踊ってたアストリアの隣にあった小さなレコード屋さんからも爆破があったんだそう。


翌朝以降自分のコートを取りに戻ると、隣は進入禁止のテープが張られ、想像もしない事が起こってたんだとちょっと焦りました。でも翌週は何事も無かったかのように、いつもの金曜日が来て踊ってました~。はー楽しかったな・・・

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