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Thursday, April 30, 2015

(昔ばなし)ベーコンは豚肉なんですよね。

日本でハラル・ビジネスが活気づいているのだそうです。4月14日のワールドビジネスサテライトで知りました。
カレーライスやラーメンを、ハラル認定された鶏肉で作られたり、カラオケに出すおつまみがハラルだったり、お祈りスペースが出てたり。。。

イスラム圏の観光客の増加を踏まえての新規顧客を狙った新ビジネスなんだとか。

素晴らしいですね。

Sunday, March 22, 2015

昔話が続きますが・・洋楽の日本語カバー

私の中学時代は洋楽と洋画でどっぷり浸かっていた時でした。
マットディロンは、私の大好きな俳優の一人。幼いせいか、演技じゃなくて顔で選んでいた時代でもありました。今思えば、演技は大したことなかったのかも。今は、ベネディクトカンバーバッチが好きです。
そして映画を好きになると、サントラまで気に入ってしまうほどだったり、当時レコードが高くて買えなかったから、週刊ぴあでFMラジオの番組表をチェックしながら、録音までしたり色々熱心だったなぁっと思いだします。
(カセットテープのデコレーションやレタリングまで、マメなお友達もいるけど、私はそこまでは出来なかったなぁ・・・)

当時はアメリカのトップ100とかが主流だったので、本当にジャパン、デュランデュランやデヴィッドボウイといったブリティッシュ系の音楽が好きになるまでは、アメリカが外国みたいな所あったかもしれません。

夫と70-80年代に流行った映画の話をすると、日本ではアメリカ映画が主流で、ヨーロッパの映画ってあまり目にしなかった事に気づきます。フランスでもアメリカ映画は入っていたらしいけど、それ程興味がなかったのかも、見せても知らないというアメリカンロックだったり、映画だったり、という感じです。
それこそ、当時の映画雑誌には、「ラ・ブーム」のソフィーマルソーが日本でもすごい人気だったんじゃないかなぁ。。。ソフィーマルソーか、フィービーケーツ、ブルックシールズ、って感じ???あとエマニュエル夫人ですか(笑)
俳優だと、マットディロン、ジャッキーチェン(え?)トーマスハウウェル、ラルフマッチオ、他思い浮かばない・・

ある日何だかふとした所で、「ストリートオブファイヤー」という映画のサントラを聞くことがありました。(もちろんYouTubeです)古き良き50年代のアメリカで、女性ロックスターを二人が取りあうみたいな映画です。

一応映画館には行って観たけど、その後もTVでみたりして、かなり回数観ているとは思うのですが、きっと20年ぶり位に思いだした映画です。サントラの曲がほとんどアメリカでトップ⒑入りしていました。
I can dream about youって曲がまた良いんですよね。黒人のソウル音楽っぽいのに、実は白人というのが、当時すごい評判でした。

中でも、リンク貼ったこの曲「Tonight is what it means to be young」という曲は、ヒットして直後に日本のテレビドラマのテーマソングで日本語カバーになって使われてました。
「ヤヌスの鏡」という、主人公の高校生が、事情があって二重人格:普段は大人しく、でも何かの拍子で(頻繁に夜)不良になって人を襲うという、演出が笑えるドラマなんです。

ドラマを全編観たんだろうか・・・なんてモヤモヤ探したら、ネットですごい短縮だけど全編観れちゃうのがあって、すごいスッキリしました。

あの当時は、洋楽の日本語カバーがなんと多い事。そしてあの手の不良を更生させるとか、すごい大成するというような青春ドラマがすごいありましたっけ。楽しめます。
洋楽が好きで、オリジナルが一番。と思っているので、あえてカバー曲は触れません。

Thursday, February 27, 2014

思い出話 - スコットランドに行くなら・・・

「通貨が違うから、タータンノーツに換金するのを忘れずにね」

と、スコットランド人の同僚が教えてくれたので、数日後にせまった初めてのエジンバラ旅行の準備に取り掛かりました。

そうなんだ、確かにUKとは言え、ポンドじゃないんだ〰。

Wednesday, September 11, 2013

思い出話:ノース・フィンチレーN12

イギリスの土地バブルを受けて、親日家というか日本人の奥さんを持つ大家さんが、クラウチエンドのフラットの家賃を、激しく上げようとしたので、私は引越せざるを得ませんでした。気に入っていただけにすごい残念でしたが、大家さんとしても日本からフラットの諸問題を解決するには限界があり、エージェントを通すべきだと判断したようです。しかも、立ち退きの期限も迫ってくるので、かなり焦って探した覚えがあります。

そして見つけたのが、忙しい仕事の合間に見つけたノースフィンチリーのフラット。というか、小さな田舎の一軒家と言っても良い感じでした。大きなキッチン、ワードローブ、すべて家具付きのアパート。日本で買ってきた、高性能の留守電付コードレス電話を付けたりして、中々快適な生活でした。
裏には芝生がついた庭もあったり、ご近所さんも親切で、お買い物にもとても便利、通勤に多少混雑する所があったけど、まあまあ大丈夫でした。

このあたりは、日本人駐在員さんも住んでたりして、安全なエリアです。ちかくには日系のお魚屋さんもあってお世話なりました。ここからまた北上すると、もっと田舎ぽくなって、とてものどかな雰囲気になります。

私が引越したのは、初夏の気持ち良い季節でした。冬が近づいてくるとわかったことがあります。
  • お風呂のお湯を貯めても、実はたまらない。(栓のサイズがあってなかったー)
  • 一階の家だけに、暖房が中々利かず、あったまらない。
  • やけに湿気を感じる。
ある夜寝ていると、なんだかスースーすると感じて目が覚めると、玄関のドアがきちんと閉まってなくて完全に開けていてびっくりしたことがありました。誰か侵入したのかと焦りました。湿気でドアが膨らんでいるのか、閉まりが悪かったようです。
この当時、海外出張が多く家を不在にする事が多かったので、あまり住んでいる気もしませんでした。だけど、結露もすごいし、やーぱり寒いしおかしいなぁっと色々調べてみたら、冬になってから、ワードローブ内の洋服にすっかりカビが着いていることが分かり、ダメダーと、急遽引越することにしました。大家さんにも、エージェントにも言ったけど埒があきません。

当時アンティークのような、中古のフィアットに乗っていた私は、通勤途中の度重なる故障にも悩まされました。クラッチケーブルが突然キレたり、寒いとエンジンのかかりが悪くチョーカーをガシャガシャ押して引いてをやらないと起動しなかったり、タイヤのパンクが頻繁。そして何よりハンドブレーキが鉄棒で、坂道発進などかなりの頻度で使ってて、左手にあった指輪が変形しちゃってたという事もあり、今フランスでも乗っているスズキの4駆を買いました。

6か月でまたお引越し。出張ばかりで自分に余裕のなかった時代でした。
安住の地はいずこ・・海外で暮らしてて、住処が落ち着かない事ほど心細い事はありませんね。

Tuesday, September 10, 2013

思い出話:クラウチ・エンドCrouch End N8

私がロンドンで、とても気に入った街の一つでした。97年から2年程住んでいました。
古い時計台を囲んだ中心街は、とてもかっこいい雰囲気があり、素敵なカフェもあるおしゃれな所です。
地下鉄Finsbury Park フィンズベリー・パークから、バスで10分程の所にあります。
Alexandra Palace アレキサンドラパレスという、テレビ塔のある高台が近くにあり、そこを通ってMuswell Hillにつながります。

Wednesday, March 20, 2013

思い出話:NW3(Kilburn)

今となっては、ちょっとお洒落になった感のあるキルバーンですが、アーチウェイから引越し私が住んでいた93年の頃はあまり治安の良いとは言えないエリアでした。でも高級住宅街のWestHamspteadウエスト・ハムステッドと同じ郵便番号であるNW3なので、ちょっと気取ってウエスト・ハムステッドという方が聞こえが良かったりします。

アーチウェイでちょっと一緒に過ごしたアメリカ人のアンからのアドバイスを受けて、トッテナム・コート近くにあったカレッジに入り、コンピューターを学んでいたので、通学はいつもバス。通学の途中目にするのは、アビースタジオっというビートルズ・ファンだったらロンドンに行くなら立ち寄るであろう、有名な音楽スタジオです。

二階建てバスの上に乗り、大きな樹をバリバリ掻き分けながら通りを通過する時に、眺めていると白いアビースタジオの門には、沢山のファンからの落書きメッセージが。落書きは悪いことなのに、それさえもお洒落に見えてくるから不思議です。

今はもう閉鎖されてしまったと聞きましたが・・住宅にでもかわったかもしれませんね。

冬も夏も、雨の日も晴れの日も、二階建てバスからの風景はとても好きでした。

その当時、まだアルコールの販売に規制があり、夕方まで販売が出来なかったり、週末も規制があった時代でした。スーパーのお酒コーナーにはカバーが掛かっていて、どうしてなんだろうっと不思議に思ったものでした。

キルバーンでのアパートは、インド人の持ち主で薬剤師のミュニと、フランス人でメディア関係の仕事をしていたクレアの3人でのシェア。その内にムニも彼氏が出来て、移り住み4人でも生活になりました。モダンで素敵なミューズと呼ばれる1軒家での生活はイギリスに来て、初めて快適な生活が送れるようになった気になりました。

バスでちょっと行くとカムデン・タウンがあり、週末はそこで過ごす事も多く、友達も自然にそこらへんでたむろする感じになりました。ミュージシャンの友達も出来て、ライブをするたびに出かけ、ボヘミアンなライフスタイルに浸りきってました。

シングル部屋だったけど、きれいで十分快適だった私のフラット。屋根裏の部屋だったので、大きな窓にはいつもハトの落し物が一杯でした。

今頃クレアもミュニは、どうしているのでしょうか・・・

Sunday, October 14, 2012

思い出:クラダリング

久しく昔話をしておりませんでしたが、一人雷に怯えている午後、以前からお話したかった事をお話しましょう。

私が最初にイギリスの地を踏んだのは、私が18-9歳の頃の3週間のホームステイでした。専門学校から団体で出かけ、仲良しの友達も参加していたのでワイワイ賑やかでした。

Thursday, March 22, 2012

思い出話:地下鉄通勤

ロンドン時代の思い出をもう一発、
クルマ通勤をしていた時は4~5年位。その後は転職もあったりで、地下鉄通勤もしてました。

仕事しながら大学生もやってたりで、その仲間と「勉強会」と称しては、結局飲んだくれて帰ったりして、地下鉄で居眠りをしちゃったり、よく記憶もないのに、ちゃんと家にはたどりつけてたり、とそんなに若くは無かったのだけど、お酒だけは回りのイギリス人と同じだけ付き合い、後でよく後悔したものです。(いまだにこればっかりは、学びませんが・・・)

まあ、イギリスには親切な人もチラホラいます。酔って眠っていた私を起こして「降りる駅どこ??」っと言ってくれたお兄さんもいたり。(その時降りるべき駅の扉がちょうど閉まったので、結局寝過ごしてしまったのですがねぇ。。)

お酒が絡んだお話はキリがありません。

で、これはお酒は絡んでいませんが、ある帰宅途中の事。

Sunday, March 18, 2012

思い出話:ロンドンで車

今我が家で乗っている車は、私がイギリスで買ったアンティーク車です。って言ってもすっごい古い94年製の日本からの輸入車でスズキの四駆です。買ったのは2000年だったかな?
ロンドンからこっちまでわざわざ持ってきました。イギリスのナンバーからフランスのに変えるまで日本からの輸入車というネックがあり、すごい時間も掛かったけど、最近は色々ガタが来ているけど、今までずっと一緒に居てくれたので、本当に動かなくなるまで大事に乗っていこうと思っています。

Wednesday, September 7, 2011

思い出:コインランドリー

イギリスに住んでいた最初の頃、ホストファミリーの家でも間借りしたフラット内にも洗濯機がない所がありコインランドリーにお世話になったことが何度かありました。

せっかくの週末ブラブラ出かけたい時に、数時間コインランドリーで過ごさないといけないと思うだけで億劫で気がめいってしまいました。しかもコインランドリーに行く為に、20ペンスや50ペンス硬貨を日々集めてる自分に情けなくもなったり。。。


Wednesday, January 19, 2011

懐かしや80年代洋楽

ふと、YouTubeで 懐かしいビデオばかりを観て見ました。
な ぜか「一風堂」の「すみれSeptember Love」のベストテンかなんかで、ロンドンから衛星中継なんていうのを見つけ、それから派生して、Japan(あまりに渋すぎて、知っている人いらっ しゃるかしら・・?)、そして映画「戦場のメリークリスマス(仏語:Furyo)」から「禁じられた色彩」というテーマソング。


Monday, June 2, 2008

デュラン・デュランがニースに ???


な~んと、今日学校の帰り、FNACという近所のマルチメディア関係のお店(書籍、CD、ゲームなどを販売)でフラフラ立ち読みなどをした後、お店入り口付近のコンサート等のチケット売り場をフッと通り過ぎたら、目に止まったんです。この広告。

え?デュランがニースへ?

私を昔から知っている方は御存知かもしれません。私がイギリス留学を決めたきっかけは中学生の頃ブリティッシュロックが大好きになったからです。夜遅くまで起きて「TokyoRockTV」を観たり、洋楽系ラジオを聴いたり。外人ってみんな同じって思ってた両親ですら、ちゃんとデュランデュランは覚えてくれたくらいですから(笑)ちょっと最初はミーハーなバンドから入ってしまいましたけど、このデュラン・デュランに会わなかったら、恐らくその後ちょっと好きになるハードロック系とかの影響で、LA、シアトルとかに行ってたかもしれません。。。お、いや待てよ、Inxsが大好きだったからオーストラリアへ行ってたかなぁ。。。

まあまあともかくもデュランの他にも影響のあったブリットバンドは沢山いるので、私がイギリスに行くのは運命だったんだと確信しています。
ハー思い起こせば。。。。

2003年秋頃5人が揃った時にオックスフォード通りのHMVで開かれた(恥ずかしいのですが)サイン会!!!!なんてのにも行っちゃったんですよね。電車内で朝刊Metroに掲載された小さい広告を見つけた私は「げー!!こりゃ行って見なきゃ」と、当時のボスに正直に話して(彼も結構面白がってましたっけ)会社ちょっと早退しちゃったりして。。。会えただけで気分はもう中学生の頃の私に戻ってました。フワフワ。

その後2005年のライブ8(世界同時中継の大チャリティーコンサート)のチケット抽選に当たって社内で私くらいしか当たってなかったから、すごくはしゃいだ思い出があります。
デュランはアムステルダムとかどっか違う所からの中継だったのでちょっとがっかりだったけど、サイモンが前回のライブエイド公演の際、音程がずれてすごく恥ずかしい思いをしたってドキュメンタリーで言ってたっけ。

サインもらって、ライブ8でいーっぱいアーティストのライブ観られて、沢山良い思い出できたし、イギリスでやり残した事はもうないなぁ。。。。って日本への帰国を考えてたのもこの時でした。。。

まあ日本へ帰国じゃなくって、ひょんなご縁でフランスへ引越してしまったので予想外の展開になりましたが、ともかくもデュランがパリなどの大都市じゃなくって、ニースに来るっていうんですから私にとっては大ニュース。勝手な解釈すると、まだ私はイギリスに縁を切られた分けじゃないのね。って所でしょうか(笑)

Tuesday, April 15, 2008

同級生からの便り

久しぶりに昔馴染みの友達からメイルが入ってきました。
彼とは小学校・中学校同じで、中学2年生の時は同じクラスでした。
地元の同級生達と飲んだりして遊び始めたのは、20代中頃からかな?
おととしの里帰りも皆でワイワイ飲んで話してすごく楽しかったです。

今は地元向島で建築士として働く彼、今回新装店舗のプロジェクトでフランス語訳が必要との事。
早速頑張っちゃいました。もちろん私だけじゃ怪しいので、パリにいる夫へメイルで確認したりして。
すごく短い文章なのに、その解釈をするというのはとても奥が深く、色んな展開が楽しめました。
昨夜送信して、今朝早々に彼から、跳ねるように軽く陽気な返信メイルが届きました。

こうして遠くで誰かが私を思い出してくれた、というのも嬉しい事だし、人の役に立った、というのは本当に気持ちが良いことです。
プロジェクトうまく行きますように。